『渡邉恒雄回顧録』 インタビュー・構成:伊藤隆 御厨貴 飯尾潤

中央公論新社 2000(初出「中央公論」1998-99) 通読 A5 ハードカバー B \2300 A区立図書館 2004/9/11-12

表紙にデーンと渡邉恒雄の顔である。まあソフトなライティングで、えげつない空気は減殺されているが、ナベツネである。普通この手の本は手にとって、めくって、本棚に戻すのだが、表紙を見ると蒼々たる政治学者が関与している。ひょっとしてまともな本なのかと思われた。あと、中央公論新社から出ている。これは読売新聞社に対する臣下の礼なのか!?などと馬鹿な空想を抱いた。この空想が正しいとすると、まともな本ではないことになるw

結果、思った以上にまともな本であった。面白く読めもした。ナベツネではなく渡邉恒雄が、インタビューによって明らかにされていく。殆ど唯一、「ナベツネ」を感じたのは、渡邉が青春時代を語るときだ。23頁で渡邉は硬派な悪童だったと言う。しかし31頁、旅館で「そうしたら隣の部屋にえらいべっぴんの女の子と男の子が二人で泊まっているんですよ、やはり旅行で。彼女が『お兄様』なんて言ってね、その声がなんとも魅力的なんだな。それで、三角と僕と吉行淳之介と三人で、あの妹なるものを何とかしようじゃないかということになってね。」と渡邉は語る。すかさずインタビュアーが突っ込む。「硬派の人とは思えないですね。」 おおっ天下のナベツネに大胆なツッコミ、アカデミズムの余裕がなせる技か?学問の自由大学の自治の名における暴挙か? さあ渡邉どう返す?「まあ追っかけ回してね。」 スルーか!ここは渡邉恒雄ではなく「ナベツネ」だった。

で、この他はジャーナリスト・読売新聞社長渡邉恒雄である。現在の普通の意味におけるジャーナリストとはだいぶ違う。やはりこの回顧録の醍醐味は、渡邉が第一線の記者として活動していた1960年代にある。大野伴睦(ばんぼく)はじめ、政治家に取り入って、メッセンジャーボーイのような役割を果たしたり、会合をセッティングしたり、果ては政治家に提言したりと、縦横無尽の活躍である。安保闘争の樺美智子の死に際する政府声明を書く。大野伴睦と中曽根の間をとりもつ。

こうしてみると、なるほどこの人は勉強もしているし、ものも書ける。岡義武を引いて、政治家には二種類のストラテジーがあって、大衆との間にわざと距離を置くことによってカリスマ性やリーダーシップを強化する政治家、もうひとつは距離を極力縮める事によって大衆政治家としてのリーダーシップを強める政治家、この両極が吉田と鳩山一郎だったと言ったりする。三流政治評論家よりはよほどものを知っているし、見る目も確かなようだ。インテリと称してよいのかどうかはよくわからないが、教養に重きを置いていることはわかる。「哲学書を読んだことがない」と言ってのける岸信介に軽い失望を覚えたという。ユーモアもある。まえがきに、「存命中の人間の青春時代の日記を公開させる政治科学者の非情を感ぜざるを得ない」と書く。

渡邉と「右」なるものの関係についても再考を迫られる。渡邉自身が、戦争中や戦争直後は威張る憲兵や配属将校への反感、軍内の理不尽な制裁で天皇制反対だったというが、「政治家が首相を含めて政治的細菌に侵されているなかで、皇室が、政治的、道徳的に”無菌状態”にあることは国民統合のために大事なことだとわかってくるんだな」(101頁)と語る。真摯な告白と受け取ってよいだろう。終章は「我が実践的ジャーナリズム論」と称して、彼のジャーナリズム論、政治思想が語られるが、驚くほどまともである。改憲議論は9条だけでなく、財産権と公共の福祉の問題、私学助成の問題、人格権の規定の問題、など幅広く見据えている。政界財界官僚学者にリーダーシップの欠如を見ているから、新聞が国民を啓蒙し、力を善用しようという発想。

渡邉がジャーナリストとして、マスコミ経営者として平均以上の存在だな、と感じたのは、リクルート事件の下りだ。検察が立件できないものはリークして社会的制裁を加えようとする様子を、彼は国家的にもマイナスと捉え、魔女狩り報道と言う。インタビュアーが、主筆として社説で書けなかったのかと聞く。「ここが新聞の限界で、『リクルート疑獄などは些細な事件である。大したことではないから、そんなことより政治をちゃんとやれ』とは、なかなか社説で書けないんだよ」「僕の経験で言うと、こういうスキャンダルをきちんと整理してとらえることは、ほとんど不可能だ。だけど、そうしなければいけないと思うんだけれどね」「魔女狩り報道が国民的利益に合致する政策実行の妨げになったことが、何度もあったんだ」 ちゃんと新聞の限界にも気づき、報道そのものよりも国政全体をも視野に入れる様は、さすがの頭脳と言うべきでもあろうし、国政の中枢に関与し続けたものとしての実感でもあろう。マスコミ倫理についての彼の考え方は、独特の切り込みを見せる。オイルショック時にマスコミ各社が石けんやトイレットペーパーのなくなったスーパーマーケットの写真を掲載したことを彼は「ミスをした」と反省する。当時の編集主幹が、「買いだめを煽るじゃないか」と怒ったという。「真実を伝える」だとか、「客観報道」という思考停止を彼は取らない。

政治家評価も独特である。宮沢、橋本などに若干辛い一方、村山富市をその人柄から、イデオロギーから生まれた社会主義者でないことから、褒めそやす。社会党の反安保・国家・国旗反対を潰して国論統一の幅をぐんと広げたと評価する。小渕を決断できる人だと、評価する。解題で当時のコラムを見ることが出来るが、村山をイギリス労働党最初の首相マクドナルドに引き照らしたことは、御厨も賞賛する。

全く重要ではないが参考になった一言:10センチ榴弾砲は本来馬6頭で引くが、馬がないから人間20人で引く。時速10メートルくらいしか動かない。榴弾砲の重さというものが実感せられた。

あと写真もいくつか掲載されているが、30歳40歳の老け方がすごい。青年期の面影が、全くない。眼だけは確かに本人だな、と思える程度。他の顔パーツはどう見ても別人。まあ仕事にあれだけエネルギーを費やしていればこうなってしまうものなのだろうか。新聞記者という仕事は恐ろしい。

物語として読むなら、「ナベツネ」でなく「渡邉恒雄」を知るための本、そして日本政治史をあらましとして把握するにも役立つだろう。日本政治史の史料として読むなら、貴重な証言の数々。証言の段階から政治学者が絡んでくる、本書では「オーラルヒストリー」と称されている、それは確かに学問に寄与するところ大であろう。

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