『実存主義とは何か』 J・P・サルトル 伊吹武彦他訳

人文書院 1955(1996新版) 精読 B6 ハードカバー A 1957円 *****図書館 03/07/20-30

実存主義とはヒューマニズムである 糧 偉人の肖像 顔 実存主義について パリ開放・黙示録の一週間

サルトルによる、自身の哲学の解説。 こうした試みは大変よいことである。自身の哲学を一般聴衆に語りかけるがゆえに、大胆な通俗化もなされ、理解を平易にしている。「サルトルが・・・」「アンガジュマンが・・・」とか言ってる輩の中で、この本しか読んでいない、という事例は少なからぬと推察される。この本は「サルでも分かる実存主義」なのだから。

訳者解説にあるとおり、この本にあることは通俗のレベルでは既に行き渡ってしまったことかもしれない。自分の行動が、自分自身を決定するということ、これが実存主義の要であるが、これをさらに刈り込んでいくと自分の運命は自分で決める、というレベルにまでいってしまうであろう。哲学から通俗道徳への変容である。

また解説で、社会主義革命への参加と、子供を産む産まないの話とが、同じ「全人類への責任」という地平で語られるのには無理がある、とある。それは解説にあるとおり、戦争下という時局のせいもあろうが、やはり社会主義との関連も深いような気がする。本書では唯物主義は否定されている。唯物主義と実存主義の違いをもうちょっと詰めていくとなかなか楽しい話になるかもしれない。あまり読む気はしないけれど。

偉大な哲学者が庶民のレベルにまで降りてきて話をしたというかなりナイスな書。哲学者がもっとこういうことをしてくれれば、永六輔の出番もなくなるだろうに。毒にも薬にもならない通俗道徳よりは余程役に立つはずである。生きる目的を、全人類に対する自己の行為の責任に求め、それが自由だということ、

とにかく、哲学入門書としては一級の出来映え。訳も平易で読みやすい。

感じた台詞、ハイデッガーに関して、「ときとして人間は、自分自身の作品の高みにまで達しないことがある」。まさにそう。日本でも作者が犯罪など起こすと作品の評価まで地に落ちることがあるだけに、うまいこと言ったものだと思う。「『汝はアブラハムなり。汝の息子を犠牲とせよ』と告げに来たものが、もしほんとに天使であるなら文句はない。しかし人は誰しもまずこう自分に問うことが出来る。あれはたしかに天使なのか。そして自分は確かにアブラハムなのか。何がそれを証明するのか」これを見てマンガ「ヘルシング」を思い出した。少佐が「ありがたいことに私の狂気は君たちの神が保証してくれるというわけだ。よろしいならば私も問おう。君らの神の正気は一体どこの誰が保証してくれるのだね?」結論、平野耕太はサルトルを読んでいる、あるいはカトリックがどうのこうのと書くのが好きなだけあって、無神論にも通じている。

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