『戦艦大和ノ最期』 吉田満

講談社文芸文庫 1994 通読 文庫 文庫 A ¥987 A区立図書館 04/8/10

大和特攻作戦に従事し、そこから生還した著者の体験記。文語体、カタカナ、というと引く人も多かろうが、昭和の文章である。古典知識がなくても読める。

この本から「戦争の悲惨さ」だの「非人間性」だのしか読みとらないのはあまりに惜しい。そんじょそこらの慚愧に満ちた戦争体験記とはレベルが違うのである。吉田少尉は特攻作戦に際して高ぶっている。「我ラ国家ノ干城トシテ大イナル栄誉ヲ与エラレタリ イツノ日カ、ソノ証を立テザルベカラズ/我ラ前線ノ将士トシテ過分ノ衣食ヲ賜ハリタリ。イツノ日カ、知遇ニ報イザルベカラズ」と。単なる戦争批判でも、また戦争礼賛でもない。

そして大和特攻の実相が、レーダー担当だった著者の口から語られる。出航早々米潜水艦に発見され、追尾される。天候は曇っていて、戦艦にとって不利、航空機にとって有利だった。米潜水艦の通信は暗号によらず、艦隊の構成、動静を伝える。「敵サンニ教ヘテ貰ツタ方ガ早イヂャナイカ」と航海長が苦笑する。大和に戦闘機の護衛はない。たとえ二百三百の戦闘機群が出撃しても述べ千機の圧倒的猛襲に対しては蟷螂の斧に過ぎずとの見解ありと著者は伝える。それでも作戦命令に反して偵察機が20機ほど出撃するが、吉田は「我ラ関知セズ」と書き、その偵察機は過半を失って帰投する。

ここからして、もう合理と非合理の混淆が始まっている。呉に待機する天城葛城の新鋭空母を温存しても、それをいつ使うのか。大本営は狂気に陥っていたわけではない。今なら、「この期に及んで」と言うことも出来る。が、彼らはあの時、どうにかして戦局をよりよい場面に持っていこうと真剣に考えていた。それが、大和特攻はじめ、特攻作戦という非合理、直掩機なしという合理に現れてくる。

米軍機の猛攻によって大和艦上は血と肉片の飛び散る惨状を呈する。この辺の描写は他に例を見ない。映画でも表現されたことはない。陸戦における惨状はよく表現されてきた。「プライベート・ライアン」などでもおなじみになった。だが、私は海軍の戦闘をなんとなく、清潔なものと認識していたかもしれない。船と船同士が戦って、沈んだら負け、沈むまで搭乗員は生きている、というように思っていたかもしれない。よく考えればそんなはずはなかった。猛烈な機銃掃射によって、機銃座はもちろんのこと、艦橋内まで惨憺たる有様となるのだ。二波の攻撃を受けて大和の高角砲、副砲は完全に沈黙する。

というようなことを書いていくと、まんまあらすじになってしまうのでこの辺にするが、万事この調子である。戦闘のリアリズムが、文語体で綴られ、軍人の報告書のようでありながら、情感豊かに搭乗員の人間模様も描写されていく。出撃前に死のうと覚悟していた吉田少尉は、駆逐艦の縄ばしごを上っているとき、「生キ求ムル意地」を見いだす。再び日本の地を踏み、すでに遺書を送っていた実家に戻り、総括する。「ワレハ死ヲ知ラズ、死ニ触レズ」「特攻ノ死コソ、容易ナリ」「必死ノ途ハ坦々タリ 死自体は平凡ニシテ必然ナリ」

戦争文学という区分を超えて、死と生の問題に迫る傑作。

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