『狭き門』 アンドレ・ジイド 川口篤訳

岩波文庫 1937 通読 文庫 文庫 B \250 自 03/10/19

あらすじ(表紙より):叔父の家でアリサと再会した時、ジェロームは突然、自分たちがもう子供でないことをはっきり感じた。高まりゆく二人の慕情。しかしアリサにとって恋は自分の信仰を汚す感情と思われるのだ。彼女はジェロームの愛の行為を焦がれつつも、神の国を求めるがゆえに、彼の求愛を拒みつづけて苦悩の内に死んでゆく・・・。

鬱小説。非常に鬱になる話である。鬱の原因はわかっている。救いがないこともさることながら、現代日本人にはアリサの心情は全く理解不能なのだ。恋の感情に従うことが、神の国への道を閉ざすものだ、という考え方が今の日本人にはまず通用しないであろう。日本人だけではなく、現代人全体に通用しがたいと思う。ただ、キリスト教徒にはなにかしら心あたるところがあるのかもしれない。

私がリアリストとしてこの小説を読むと、「教会によってゆがめられた偽りの教義によって不幸となった男女の話」となってしまう。なるほど聖書に「結婚は出来ればしない方がよい」「姦淫すべからず」とはあるかもしれないが、現世の不幸を追いかけろとまでは書いてないだろう。そう思って読んでいると、アリサの行為に、なんでそうなる?といらいらする。

あとがきを読んで、一応納得はする。「人間の目的が、神か、人間か」という問いがあるのかもしれない、とあとがきにある。確かに私が読んだ印象でも、決してアリサの行為は肯定されていない。

時代が過ぎて、こういう問いがかなりの部分無意味というか理解不能になった。そういう意味でこの古典はすこし色あせ始めているのかもしれない。

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