『自殺の文学史』 グレゴーリイ・チハルチシヴィリ 越野剛・清水道子・中村唯史・望月哲男訳

作品社 2001/8/30 斜め読み A5 ハードカバー D+ \3800 *****図書館 03/10/11

簡素な装丁に騙された。いかにも売れなさそうで、売れないなりにまともな(学問的な厳密さがある)ことが書いてあるかと思いきや、話にならなかった。

序盤の印象からして、「ちょっと出来のいい大学生の苦心の卒論」といったものだったが、途中から「日本における平均レベルの大学生の卒論」並であることに気づいた。

著者が何をやりたいのかさっぱりわからない。最初に自殺に関する考え方の整理が行われる。ギリシア哲学ではどうとか、キリスト教ではどうとか。これはまあよい。それが著者の問題意識とどう関わりあってくるのかは不明だったが、個別の話として読める。次に、ドストエフスキー論が来る。これも、まあいいか?そして次は、デュルケームが出てくる。いつまで整理しとんねん。頑張って読み進めると、「自殺者HとGにおけるエディプス・コンプレックス」と題うって、ヘミングウェイとロマン・ガリの精神分析!社会学の次は心理学かいっ!ここで私はギブアップ。

この著者には立場とかスタンスといったものが見当たらない。あっちにふらふら、こっちにふらふら、文学者かと思えば社会学者、そうかと思えば心理学者、しかも全てにおいて素人くさい印象を受ける。肝心なところで根拠を示さず、どうでもいいところで引用される統計や学説。一番いけないのは社会学的なことを述べようとする時だ。あるべき慎重さに欠ける。いわば俗流国民性論になってしまっている。

「典型的な日本人は、個人的な価値ではなく集団的な価値の指向を特徴とする」 一体いつの話だろうか。いや、今なおそうした傾向は日本人の中にあるかもしれない、だが、この説ってベネディクトとかその辺の時代の話じゃないか?いい加減古いだろう。いっぱい反論や反証も出てきているだろう。それに一切触れずにこう言われても、困る。

「日本人は死を話題にしても気分を害することが無い。何といっても日本人は決して死を忘れないからだ。自分の最期に対する日常的で打ち解けた姿勢は、仏教と儒教と言う宗教に起源を持つ」 どこかで聞いたような話ではあるけど、これも怪しいものだ。

「自分の生命を軽視することが何世紀もの間、日本でもっとも高貴な身分(引用者注:武士のこと)におけるもっとも高貴な資質であると公認されてきたからには、この理念が全国民の血肉の中に根付かぬはずはなかった」 だから、根付いた過程を、根拠を示さないといけないんだってば。これこれこういうわけで根付いたんだ、と言わないと説得力ないって。例えば、「あんな人になりたい」とよく人は思うけれど、大抵はその憧れる人に似もつかないまま終わるのだ。普通は、高貴な人が範を示したところで、それだけでその他の人の血肉の中にその範が根付いたりはしない。

「日本の子供の場合、死に対する態度は平静なものだ。彼らは早い年齢から,いつか自分が死ぬことを知っており、その事実は客観的情報として受容されているため、それほど恐ろしいものではない」 これは初耳だ。真偽の程は定かではないが。だが、その次がいけない。「こうしたメンタルな面での相違は、もともと日本の子供のために考案された玩具『たまごっち』にも見られる」・・・・何をかいわんや。

こうしてみると、著者には一定の考え(固定観念と言っても良い)があって、それを裏付けるような事例を全く任意に選び取っているように思える。それは学問的な態度ではない。事実を収集していくと、必ず自分の立てた論とは食い違う事例が現れてくる。それをどう位置付けるかが問題なのだ。それは例外としておいて、大略問題ないといえるのかどうか、一見食い違うように見えて実は同根の話なのか。それが学問的態度と言うものだ。

学問的態度が出来ないなら、文芸評論をやればよかったのだ。これなら何を書いても許される。例えば坂口安吾が、学問的な証拠が無い日本史論--例えば宮本武蔵とか--を書く。これは事実ではなくとも、価値があり、読む人に感動を与える。それなら何を書こうが自由だ。だが著者のやりたいことはそういうことではないらしい。第二部ではさまざまな作家の自殺の様が描かれるが、著者は客観的な態度を崩さない。個別に読むところはあるだろう。だが、結論のない羅列は、私の好みではない。

そして最後の結論は、「自殺に対する唯一正しい態度などというものはなく、またあるはずもない」と来る。結局この300ページ弱にわたる本は何を述べたかったのか?著者はエッセイだというけれど、エッセイにもなりきれてない。あまりドラマを感じさせる書き方ではない。個別事例としては面白いものもあった。だったら、もっと淡々と、いたずらに自分の判断を織り交ぜることなく、「作家自殺者百科」とすべきだった。中途半端なんだ。

この本は、下書きである。恐らくは著者の今の力量では書ききれない大著の下書きである。下書きを読者にさらしてはいけない。それこそ彼の死後、初めて明かされるべき、傑作自殺論のバックボーンとして世に出るものだろう。もうちょっと筆力、思考力を磨いて出直してきましょう。あと、まともな編集者を捜しましょう。

戻る ジャンル別分類へ戻る

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送