『時間の科学』 村上陽一郎

岩波書店 1986 通読 B6 ソフトカバー A \1000 *****図書館 04/1/03

講演を元にした、時間に関する話。時間とは結局何なのか、とか、壮大な話ではない。簡単に結論が出る話ではない。というわけで、この本は味わう本ではなく、知る本であり、メモ書きとする。

どうもエッセイ集のような趣なので、要約は難しいが、主旋律は以下のようなものである。

重要なのは、ニュートンが絶対時間というものを設定したことだった。絶対時間は、「それ自身の性質として全くそれ以外の事物に関係することなく一様に流れる」というものである。我々は五分をどこでも同じ五分だと常識的に考えるが、そうでないかもしれない。十分間を五分ずつに区切って、最初の五分はゆっくりと、後の五分は急いで進んだ、という可能性もあるかもしれない。だから、絶対時間を仮定しないと我々の時間概念は滅茶苦茶になってしまう。物理学、自然科学が成り立たなくなってしまう。時間が一様に流れている、という保証は誰もしてくれないのである。

ニュートンと並んで、ライプニッツとカントの時間観念がある。ライプニッツは出来事の順序関係が時間を生み出すという。時間は後から与えられたもの。カントは人間の認識のフォルムとして、時間と空間を定立した。

さて、我々は主としてニュートン的な時間の中で生きているが、これは正しいことだろうか?産業社会で、一つの仕事を達成するのに必要な時間は短ければ短いほどよく、その意味で時間は悪とされている。我々は移動するにしても仕事するにしても、ほぼあらゆることが短い時間で達成されることを「よいこと」として受け止めるようになってしまっている。人間は時間にいかなる価値を与えるか。能率を追及して産業社会は豊かになったが、それだけでよいだろうか、時が熟するということを考える、能率重視の考えやニュートンの絶対時間概念から離れてみることも必要なのではなかろうか。

面白かった話としては、100個の碁石を「エントロピー最大」で並べるにはどうしたらいいか、ということ。正解は、規則正しく升目に沿って並べる。もっとも均等な配置が、もっともでたらめで、秩序がない。エントロピー増大の方向は時間の進む方向に対してのみ進行し、非可逆的である(ニュートン力学で時間は可逆的)。熱力学の世界では、未来を予言することは出来るが、過去を遡言することはできない。

時間の因果関係を認めて、未来の方がより確かに決定されていることを知らされているはずの人間が行為しようとする時に自由を持っていると感じる。つまり自由とは、未来が未だこざる未決定であるという信念をもって行動できるということである。

以上メモ書き程度だが、このようなことが書いてある。短い本だが、じっくり読まないと混乱する。我々が当たり前だと思っていることを説明するのは難しい。

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