『ナショナリズム』  橋川文三

紀伊國屋書店(精選復刻紀伊国屋親書) 1994/1/25 通読 B5 ハードカバー B 1800 *****図書館 03/07/1-4

序章 ナショナリズムの理念--一つの謎 第一章 日本におけるネーションの探求 第二章 国家と人間 あとがき

随分前にゼミで『昭和維新試論』を読んで、えれえ読みにくかったけど、二回読んで大体理解して、結構いいと思ったので、改めてこいつに挑戦。やっぱ読みにくいな。別に文章が下手とか表現が難しいということではない。普通の文章である、はずである。でも、読み進むのが遅い。なんというか、こう短い文章の中に大きなものがギュッと圧縮されている感じ。ふとん圧縮袋に入れた布団がやけに重く感じるのと似ている(?)。

あとがきを見る限り、著者はこの本の出来に納得していない様子。「今、私の眼底にある者は、私がその登高をめざしながら、一指もそめることのできなかった幾つもの山頂の雄姿である」というたとえは、まさにその通りの感。様々な典拠から近代日本のナショナリズムを解き明かす試みはどうも中途半端に終わってしまったようではある。もっともナショナリズムについて言い尽くせる者などいないような気はするが。

概略: 日本のナショナリズムが水戸学から出発して尊皇攘夷思想へ。水戸学的天使尊重思想は幕末地主にも共有されていたこと。吉田松陰は当初さほど優れた思想を語ったわけではなかったが、彼の功績はネーションの忠誠対象を具体的な天皇の人格に転位したということ。主権が天皇に集中される時、他の一切の人間は無差別の億兆として一般化される。論理的には諸侯、士大夫、庶民の身分差はその先天的妥当性を失う。国学思想から民族神話--神国思想へ。開国後の攘夷思想の変転。政府ありて国民なし、の状況。会津藩に殉ずる者僅か3000人と知った板垣退助。そして住民全部が喜んで国のために死ねるような体制をつくることが、自由民権運動の原理?日本におけるネーションは幕末以来の海防論の思想的延長か。国民として掌握するための戸籍法制定。家父長権、相続権は武士層の慣行を元に作られた--権威主義的性格。家族法は権威主義を通して絶対主義的臣民パーソナリティの訓練。

以下アフォリズム的に気になった文言

「ドイツでは、ナチオナルという語は、英語よりも遙かに感情的な言葉である。ナチオンという語は、ドイツ人の心の中に、自己の国家を持った、強力で高度に文明化された偉大な民族という印象を呼び起こす。そしてナチオナルという言葉は、民族的光栄、民族的統一、国旗などのような高尚な概念のためにのみ用いられる。国民バター等という名称はドイツ語では考えられもしない」(F.Hertz, op. cit., p.3)

ルソーの一般意志

「偉大なる犯罪にもまして徳に似たものは存しない・・・・祖国愛の中には何か恐ろしいものが含まれている。それはすべてを公共の利益のために、哀れみの心も、恐怖の心も人間愛の心もなしに犠牲とするほどに排他的なものである。・・・・全体のための善を作り出すものは、常に何か恐ろしいものである」(サン・ジュスト)

隠岐コンミューン

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