「水と原生林の間で」『世界教養全集25』所収 A・シュヴァイツァー 和村光訳

平凡社 1961 通読 A5 ソフトカバー A \1000 *****図書館 04/1/17

帝国主義者のヒューマニストがここにいる。シュバイツアーの偉業は伝記でよく知られているが、彼が帝国主義者(=植民地主義者)であることなど書いていようはずもない。今一般に思われているように欧米諸国による世界の植民地化が、悪だとはシュヴァイツァーは全く考えていない。それどころか白人がアフリカに入ったことのメリットまで説く。曰く、ヨーロッパ人がバナナとイモノキを赤道アフリカにもたらし、食糧事情を不十分とはいえ好転させた、とか。勿論、その一方でヨーロッパ人がアフリカに悪疫までも運んできたことを苦々しくも思っている。

この自伝とでも言えるものは、医療活動の記録、旅の記録、著者のアフリカ考察、大体この三種類からなっている。どれもそれなりに面白いが、ここではアフリカ考察に関して触れておこうと思う。

シュヴァイツァーは、そもそも白人と黒人との間の労働思想のギャップを説く。白人の常識が黒人に通用しないのである。黒人に税を課し欲求を増やせば、黒人はこれまでよりも余計に仕事をするようにはなるが、労働教育にはちっともならないという。雇われる時に黒人は、最小の労働で出来るだけの金をふところにすることしか考えず、雇い主がついている間だけ、いくらか働くに過ぎない。アフリカには安価な労働力が有り余っていると勘違いしているヨーロッパ人は多いが、事実は全く逆なのである。

原住民と交わるには、親しみと権威を組み合わせることが寛容だとシュヴァイツァーは言う。白人と黒人の距離を失った時、万事につけて黒人と同じように長い議論が必要になってしまう。

万事がこの調子の考察なので、時代を感じる。白人と黒人の(精神的な)距離を保つことが必要だと説かれているのだから。今はこんな考えは全く通用しないどころか、口に出そうものなら差別主義者として排斥されてしまう。だが、この差別は、決して無意味で愚かな差別ではないのである。それはシュヴァイツァーの記述を追っていけば分かる。黒人と、対等な人間としてつきあおうとした白人は、この時代にもいるのである。しかし、彼は敬意を持って接しようとした当の黒人から、契約不履行、怠業、詐欺などによって報いられてしまうのである。差別することは、植民地にあって必要なことだったのである。なんなら区別と言い換えてもいい。白人と黒人は同じ人間などではない、ということがシュヴァイツァー始め、植民地に住む白人の常識なのであり、それは非合理で愚かしい差別などではなかったのだ。

シュヴァイツァーは黒人を「自由の子ら」だと言う。黒人は怠惰なのではなく、自由なのだと説く。白人の負っている責任が大きいほど、原住民に対して冷酷になるという危険は大きい、とシュヴァイツァーは警告する。

帝国主義者でありヒューマニストだったシュヴァイツァーは、一夫多妻を克服されるべき慣習としながらも、そのメリットにも目を配らせるところはさすがと言うべきか。原始民族の間には、面倒のみてのない未亡人も、見捨てられた孤児も存在しない。最も近い親類の男が故人の妻を引き取り、彼女とその子供を養わなければならない。だから、原始民族の間で一夫多妻制を揺すぶることは、彼らの社会の構造全体を動揺させることに他ならない。現存する方と風習を高めるべきであって、必要もないのに現行のものに手を加えるべきでないと彼は結論づける。

黒人には権威を持って接しなければならないが、その権威の根拠は白人の倫理的人格であるという。これがその辺の差別主義者とシュヴァイツァーが一線を画するところである。脳が小さいなどと馬鹿なことは一切言わない。帝国主義者、ヒューマニスト、もうひとつシュヴァイツァーを形容するのに必要だった。モラリストとしてのシュヴァイツァーである。

今でも発展途上国などに行くと、我々はシュヴァイツァーと同じことを感じるだろう。彼らは平気で嘘をつく。no problemという言葉が彼らの口から発せられた時、大いにproblemであることは少なくない。それに対抗するのに、毅然とした態度はやはり必要であり、白人は実際にそうしている。そしてそれは表面的に、あからさまに人種差別的な態度として映ることがある。ことの善悪は簡単には定められないのである。

帝国主義者が帝国主義的に書いた文章が、これほどまでに感動的だというのはなかなか例がない。帝国主義が正しい思想であるとは、今や考えられない。だが、帝国主義に所以がなかった、差別が非合理的なものだけだった、という考えもまた間違っている。そういう歴史的経緯の上で、誤ったかたちで受け継がれた差別、それがアパルトヘイトなどで近年まで、いや今なお残っているのである。シュヴァイツァーは帝国主義の時代に生き、その制約を受けながらも、多文化主義、文化多元主義に相当接近することに成功している。だから彼は飛び抜けて偉大なのである。本当は、彼をアフリカで病人を救ったやさしいお医者さんとしてだけではなく、白人の威厳を持って、アフリカの近代化に思慮を巡らせた者としても伝記に書かれるべきなのだ。

その他興味深かった点としては、教育を受けた黒人が、共同体から外れ、その上その教育を生かせる仕事も見つけることが出来ず、孤立していく姿である。食料は全て高い金で買わねばならず、普通の黒人と同じく浪費癖にはとりつかれていて困窮の状態にもある。「上の階級への没落」という現実。近代化の難しさというものの一端をうかがわせる。

シュヴァイツァーは偉い、というだけではないところに感動すべき本。確かロバート・キャパであったか、シュヴァイツァーの取材に行き、取材の仕方に色々と注文をつけて辟易としたのは。そういう権威主義的シュヴァイツァーの一面も、確かにうかがわせる。巷のシュヴァイツァー伝記の記述は、あたかも1921年当時のシュヴァイツァー評価である。児童に帝国主義者を偉大な人物として教えているのであるから。帝国主義者であったことは、シュヴァイツァーの価値を減じさせるものではない。むしろ、それがあったから、彼は偉大な業績をなしえたのである。

戻る ジャンル別分類へ戻る

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送