『無限論の教室』 野矢茂樹

講談社現代新書 1998 通読 新書 ソフトカバー B \660 *****図書館 03/12/18

以下、冒頭から引用

「タカムラさん。うん。無限について何かイメージ、おありですか?」
「とくには・・・」
「『無限』という日本語は知っていますか」
「ええ、まあ」
「じゃ、何か言えるでしょう」
「一番大きい量のことでしょうか」
なぜか、この答えを聞いてタジマ先生はとてもうれしそうな表情をした。
「それ、それはですね、一番愚劣な答えです」

と始まる、無限論入門対話篇。この冒頭は、その手の対話篇ものとしては、秀逸の部類にはいるのではないかと思う。人の答えを聞いて、わざわざ「愚劣」と言ってのける学者のキワモノ加減がよく表現されているし、やりとりも自然だ。恐らく著者はこの場面に立ち会ったことがあるのだろう。彼が教える立場だったのか教わる立場だったのかはしらない。この場面だけは、奇妙なリアリティが際だっている。

というのも、輝かしい対話篇の一場面はここだけで、あとはその辺の対話型入門書と何ら変わるところなき寒々しく、リアリティのない会話に終始してしまうからである。冒頭でかまされた分、がっかり感も大きい。特によくないのが冗談の類である。全く面白くないのは許す。笑いは期待していない。面白くないばかりか、会話のリアリティそのものをぶちこわすほどに不自然なのが許せないのである。

お話は「アキレスと亀」から始まるが、通俗新書以上の説明がなされている点は褒められてよい。要約するのは無理なので、ここではしないが、「アキレスと亀」のどこがおかしいのか、わかるようにはなっている。

「無限論」と銘打ってはいるが、「集合論」の話だと思った方がいいかもしれない。集合論の話に、無限論や論理学の話がくっついてくるような印象。そうした数学的なことから始まって、最終的にはこの世界のあり方を考えるようになっていくのは、さすが哲学専攻。例えば、3.141592....とか、あるいはこの世の事象全て、定理全てと言ってもよいのだろうが、それら全ては、最初から全て用意されてあって、人間はそれを発見していくだけなのか。あるいは、石から彫像を切り出すように、人間が作っていくものなのか。前者がつまり、「実無限」の立場、後者が「可能無限」の立場と比されている。

輝かしい対話が冒頭だけで終わってしまったのはまことに惜しいが、それをさておいて内容はそんなに悪くない本。とかく新書というと、例え立派なタイトルが付いていても、しょうもない本はどこまでもしょうもないものだが、これはちょっと違う。「アキレスと亀」の話を引っ張ったりしない。誰でも知っているような自己言及パラドックスの話を引っ張ったりしない。ちゃんと私の知らないことが書いてある。

「無限」なるものが、「ある」と考えて疑いもしない方は、この本を読んで「無限」とはなんなのか、と考えるのも楽しいかと思う。ちなみに、さほど簡単ではない。高校数学をかじっていれば、理解不能な部分はないはずだが、ちゃんと読まないと理解できない。

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