『子鼠ニューヨークを侵略』 L・ウイバーリー 清水政二訳

東京創元社 1976(原著1955) 通読 文庫 文庫 B \240 A区立図書館 2004/9/18

この本は、荒俣宏『理科系の文学誌』で知った。

あらすじ、ヨーロッパの人口6000人の小国グランド・フェンウィック大公国は、人口増による経済困難に直面し、打開策を模索する。まず考えられたのは、国内に共産党を作って、アメリカに赤化の危機を訴えて援助をいただこうという案。これは却下されるが、次に考えられ、そして実行されたのはなんとアメリカ合衆国への宣戦布告だった。14世紀の装備を持ってニューヨークへ帆船で乗り込む兵士達。だがそこにニューヨーク市民の姿はなかった。

抱腹絶倒の反戦SF。

「アメリカ人はおかしな国民です。彼らの行動はとにかく他国とは違うのです。事実、いろいろの点で、彼らは他国とまったく反対の行動をとるのです。ほかの国は何ごともめったに大目に見ることをしませんが、アメリカ人は覚えている方がめずらしいのです。本当に彼らはさっさと大目に見て忘れてしまうので、忘れるのと大目に見るのと、どちらを先にしようかと心の中で競争でもしているようです」
「ある国がお金が必要の場合、合衆国と戦い負ける以上に、その国の利益となる計画はほとんどないというのが事実なのです。アメリカとの戦争なら一エーカーたりとも国土を没収される心配はありません。(中略)アメリカは、そこが変わっている性質なのですが、自分のお金を使っても手伝いを買って出て、救けたい気持ちになるのですよ。アメリカに負ければ、その国と国民が侵略を行った報いとして、国家としても個人としても辛苦をなめるのはむろんいまさらいわでものことですね。ところが平和条約締結のインクが乾くひまもなく、アメリカは前の敵国を救うために、食料、機械、衣料、建築材料、資金、それから技術援助などを続々とするのです。(中略)お金や信用のない国にとって、アメリカと戦争し全面的敗北を喫するほど、利益になる確実な方法は他にはありません」

まさに最上の部類の国際関係ジョークである。宣戦の名目は、カリフォルニアで作られる、グランド・フェンウィック大公国の偽ワイン。結果、宣戦布告は満場一致で可決される。この辺も、戦争に対する皮肉としていい出来だろう。宣戦布告がまたいかす。

「(前略)この偽造品の販売は独立国グランド・フェンウィックの存続に脅威を与えるものであります。わがほうはこの不正を取り除くようにとの再三懇請したのにもかかわらず、アメリカ合衆国の政府及び各省はこれを全く無視したのであります。かるが故をもって、グランド・フェンウィック大国国はこのワインの販売を、大公国に対する不当にして不正、持続的かつ計画的侵略と認めるものであります。かるが故をもって、グランド・フェンウィック大公国は事態を平和裡に改善しうるあらゆる方策を取りたるにもかかわらず、ここに本書をもってわが大公国とアメリカ合衆国が戦争状態に入ることを宣言するものであります」

名詞をいくつか取り替えれば、あらゆる場面に適応するであろう事は、外交文書の形式性から見て不思議なことはないが、「米英両国ハ残存政権ヲ支援シテ東亜ノ禍亂ヲ助長シ平和の美名に匿レテ東洋制覇ノ非望ヲ逞ウセムトス」云々の例の詔勅だって、突き詰めてみると偽造ワインによる宣戦布告と構造は一致していて、こんなくだらないことで百万単位の人命が賭場に賭けられると思えば、好戦主義者の私だって神妙な気持ちになるではないか。

以下ネタバレ。

戦争に対する皮肉ぶりには全く文句がない。笑えるものから痛切に心に迫るものまで、名台詞の連続である。ただし、オチは気にくわない。新型大量破壊兵器を大国の手から小国連合の管理に移したとて、何か解決するのだろうか。オチとしてはむしろ、最期に博士が新型爆弾を床に落として大爆発、の方が辻褄は合ったような気もする。だがそれでは娯楽作品としてのレベルは落ちてしまうだろう。それではあまりにも通俗的な、反戦、反核の悲痛な物語になってしまって、この書の最大の武器であるユーモアが意味を失ってしまう。

SF小説の中で、無数の偶然的要素やあり得ざる前提を持ち出してみても、核兵器の究極的な管理や撤廃に、説得力があってまた、明るい結末をつけることが出来ない。いかに著者が戦争のくだらなさを笑いによってあからさまにしてみても、ひとたび戦争となれば作品中の登場人物のように--偽ワインに一気に激昂して宣戦布告を可決する議会のように--人びとは自らの正義を疑うことなく、戦争を支持さえする。

明るい話題と、明るい結末、だが現実と見比べたとき、どこまでも悲しい気分になる小説である。

 

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