『近代日本の乞食 乞食裏譚』 石角春之助

明石書店 1996(1929) 通読 B5 ハードカバー B+ 3000 *****図書館 03/04/20-25

1.乞食の変遷と階級 2.ケンタの生活内幕 3.ツブの生活態様 4.ヅケとダイガラの生活態様 5.シロイの変態生活 6.タカリの変態生活 7.乞食タカモノの生活態様 8.準乞食と特別タカモノ 9.昔の乞食と今の乞食 10.乞食売笑婦の変遷 11.乞食売笑婦の変態生活 12.乞食売春婦の態様 13.浅草の不良少年少女 14.支那の変態乞食 15.大坂における変態乞食 16.各地に於ける変態乞食 17.乞食の歓楽方法 付録(佐藤紅霞編)

なんと昭和4年の本の復刻版。中身も原本をそのままコピーしたような感じ。旧字旧仮名。にもかかわらずすらすら読めるのは、口語体で書かれているから。著者の石角春之助は解説によるとなかなかキワモノめいたフリーライターであるらしく、自らも乞食寸前の貧窮生活を送りながらものを書いていたらしい。目次に「変態」という言葉があるが、現代の通俗的意味における変態=アブノーマル性の意味ではなく、一変種くらいの意味だろうと思われる。

フリーライターと言うことで、柳田国男のようにとくに学問的根拠があるわけでもなく、ただ乞食をリサーチした書物である。主な取材場所は浅草。どこまで彼の観察が正確であるかは留保の余地があるとして、面白い話である。乞食の中にも階級がある。寺社仏閣などで一定の場所を占めて乞食をするのが「ケンタ」。流浪している「ツブ」。飲食店の残飯をもらって歩く「ダイガラ」。特にケンタには元締めがおり、派遣社員のように場所を振り分けているという。その代償として元締めは乞食の上前をはねる。しかしケンタは乞食の中でもっとも甘い汁を吸う階級であり、他の乞食から羨望を持って見られているという。「人一度び神に向つて、祈願を籠める時程、弱々しいものはありません。其の弱点を捉へた彼らは、親の時より子の時と、いやに感傷的な声で、安つぽい頭をペコペコさせ、『御慈悲深い旦那様、奥様』と、おだてるので、それでなくとも一かど慈悲深くなつている処であるから、思ひもかけない目明き銭を放り出すと言ふ連中が殊の外少なくないのです」と言う。

また、ケンタの中には特約ある大料理店、大カフェーへ出張し、残飯をもらってくるものがあり、其の報酬として毎朝のように其の店の門前を掃き清めているという。これなどは日本のカースト制度と称してもよいのではないかと私は思った。また、『日本残酷物語』にも記述があったと思ったが、乞食の子どもレンタルの話もある。乞食稼業の道具として、子どもを貸し借りしているというのである。しかも上中下のランク付きで。子どものあるなしでは稼ぎが全く違うという。

学問的な態度ではないが、著者の乞食に注ぐ視線は優しい。乞食はそう悪い奴らではない、ということは一貫して主張されている。そう、この本は彼自身が乞食であって、乞食の独白録のように読めるのである。浅草から乞食を追い出そうとする動きに対して、彼は追われても行き場のないものはかえってくるより道がない、追うには追うだけの準備が必要であるという。乞食売笑婦がのたれ死ぬのを見て、「彼らの生活までも保証するのは出来ないことでもあり、無益なことであるかもしれませんが、しかし、臨床にのぞんで、人間並な末路を遂げさせることは、決して出来ないわけではないと思ひます」とも言う。

今、このような本を書くことは出来ない。「差別語」に溢れているからだけではない。彼は乞食を哀れみ、同情しもするが、取材対象としてその滑稽を笑ったりもしているのである。こんなことを今やろうものなら大変なことになろう。だが、この態度は極めて健全のように思われる。彼は決して乞食をあざ笑っているのではない。差別していない、とは言えない。だが、差別と優しさが同居しているのである。この本に人類愛やユートピアと言ったようなお題目は出てこない。乞食を社会の犠牲者とも位置づけていない。だから乞食の救済=産業社会への組み込み、という話にはならない。ただ乞食を乞食として哀れみ、なんとかもうちょっと助けてやりたい、彼はそう願っているのだと思う。

言葉に関することで気になったのは、現代若者の口癖とも言える「ヤバイ」が浅草不良少年=エンコの使う、テキヤの隠語として取り上げられていること。「ビリ」、「ダチ」というのもテキヤの隠語だという。真偽は定かならぬが興味深い。

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