『機関銃の社会史』 ジョン・エリス著 越智道雄訳

平凡社 1993 通読 A5 ハードカバー A \3200 *****図書館 03/9/4

1.新たな殺戮法 2.産業化された戦争 3.士官と紳士 4.植民地の拡大 5.悪夢--1914〜18 6.時代の象徴 7.新しい戦争の流儀

英語初版1975年。が、古くない。

本書のテーマは、機関銃が開発当初、いかに軍高官から(今からすれば意外にも)拒絶されたか、そしてその理由とは何なのか、という点である。あれほど有力な兵器が何故第一次大戦に至るまで等閑視されてきたか、著者はそれを、当時軍高官の多くを占めていた貴族精神に求める。

「機関銃は19世紀に急速な進展をみせた製造技術・金融財政システムにおける根本的な変革、つまり産業革命の産物だったからだ。この巨大な技術躍進を支持する人間にとって、機械はすべての問題に対する答えだった。彼らにとっては人を殺すことさえ、機械化し、より効率化できる事柄だった。しかし、軍のほとんどはこの考えについていけなかった。というのも、士官クラスの大部分はまさに、産業革命から取り残された地主階級の出身だったからだ。彼らは軍隊を、産業革命以前の心構えや生活様式の特色を残す最後の砦にしようと試みた。(中略)1914年になってすら、職業軍人の多くが小銃と銃剣(基本的には短くした槍に過ぎない)を究極の武器とみなしていたほどである」

著者の筆は冷静で、ありがちな価値判断の無制限な混入がなく、安心して読んでいける。機関銃に向かって旧態依然の行進をさせられる兵士たちの心情を考えるとぞっとするものがある。そんなときにも著者の視線は曇らない。

第一次大戦が始まって機関銃の有力性が証明されてさえ、軍高官の戦術は進歩しなかった。騎馬隊突撃は重大な損害を被り、歩兵の突撃もまた、たった数挺の機関銃によって頓挫させられた。あくまで戦場の主役は人間、という考え方が、この重大な犠牲を招いたのである。著者は言う、「驚くべきことに、ドイツ軍の機関銃手にそれほど手ひどく痛めつけられた当の兵士たちが、イギリス流の<フェア・プレー>精神を示さなければならないという義務感に迫られ、機関銃手たちのすばらしい英雄的行為を全面的に賞賛した」「英雄的行為など実際にはなんの関係もなくなった戦争に、新しい英雄をつくりあげようとする絶望的な試みを見ることが出来る。人々は兵器そのもの、あんなにも確実に、しかも見境なく殺す単なる機械のことを忘れ、その引き金を引く人間だけを念頭におくよう努めたのである。そうすれば、少しは死を受け入れやすくなるというものだ」

203高地における乃木将軍の采配を責める向きもあるが、本書を見る限り一定の保留が必要であろう。ヨーロッパは日露戦争の戦訓をなんら学んでいなかったのだから。実態を無視した乃木崇拝も、時代性と戦略を無視した戦術論のみの乃木こきおろしも、どちらも控えられるべきである。ヨーロッパ植民地では、反乱原住民を鎮圧するのに機関銃は迷わず使われた。「戦史に学ばない日本軍」というのもよく使われるフレーズだが、これもどうか。学びがたいのはヨーロッパでも一緒だった。学ばなかったことが1940年代に現れたか、1910年代に現れたかの違い、そして日本軍が貧しい軍隊であったゆえに、それ以外の戦術をとりえなかったということを考えた時、俗流戦史解釈は厳に戒められる。

勿論、もっと詳細な論証があっていいという批判は成り立つだろう。産業革命のあり方や軍の正式な史料によって、この論を補強していけばより説得力はますものと思われる。もっとも、本として面白くなるかどうかは怪しいが。学術論文的な慎重さがない分、面白くすらすら読める。訳は大変平易で、翻訳だということを感じさせない。

機関銃の社会史
ジョン・エリス著 / 越智 道雄訳
平凡社 (1993.4)
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