『カラシニコフ』 松本仁一

朝日新聞社 2004 通読 A5 ハードカバー C- \1400 E図書館 2005/11/19

朝日新聞記者のゆるーいノンフィクション。

言うまでもないことだが、カラシニコフとはAK47として知られる名銃で世界のテロリストやゲリラの御用達となっているアレである。大量破壊兵器ではないが、その拡散の仕方や、使われ方が例えばアフリカなどで大量死の原因ともなっている。という冒頭部分の話はまあいいだろう。

無理矢理連行された少年少女が少年兵に少女兵にされていく様は確かに悲しいが、だからどうということが書いていないのはやはり新聞連載だ。朝日新聞読者だったら、単純に「だから戦争はいけない」と結論を脳内補完するものなのだろうか。シエラレオネは確かにどうしようもない、著者に展望があるわけでもない。新聞記事だし、そんな壮大なヴィジョンを個人が書かなくてもいい、でもこの本は何か書きっぱなしという感をぬぐえない。カラシニコフ開発者にインタビューしているのも、文脈上で意味があるとも思えない。

1976年まで日本は自動小銃を輸出していたのは私には新知見だったが、「1976年いらい約30年、日本の自動小銃は、世界のどこでも、誰一人殺していない。それは武器を輸出していないからだ。一丁35万円という高値には代えられない貴重な事実だった」って何をぬるいことを言ってるんだという感じ。一方で政府や製薬会社の「不作為の罪」なら問えるというのだろう。何かを救うための銃弾というものは彼には考えられないのだろうか。日本製の銃が誰かを殺したからといって、それがどうしたのか全く理解できない。輸出するかどうかは別問題として、さっぱりわからない。彼の頭にあるのは平和ムードだけで、現実の平和ではない。現実の日本の侵略国家化ではなくて、そういうムードでしかない。

新聞記者の勘違いっぷりを拝めたのがこの本で発見したことだろうか。三人を殺したという元少女兵に著者は殺害の詳しい状況を教えるよう求めるが、通訳のNGOスタッフに拒否される。過去を忘れさせてあげるために、というNGOスタッフに、彼はこう食い下がる。

「英語がある程度分かる彼女は、むしろ私の質問に答えたい様子だった。暗くおぞましい記憶を、彼女はすべて吐き出したがっている。誰かに問いかけてもらうことで、そのつらさをシェアしてもらいたいのだ。話したいだけ話してしまったほうがいいのではないか。私はその聞き役になれる--。そう主張したのだが、『それはあなたの勝手な論理だ』と、相手にしてくれなかった」

危うく納得しそうになるが、よくよく考えてみれば会って間もない少女の気持ちをどうしてここまで断定的に理解できると確信できるのか。これが新聞記者というものか。自分が正しいことをしているという根拠のない確信。人に読まれるための、ある意味卑しいネタ探しを少女のためだと勘違いできる能力。NGOスタッフは、相手を新聞記者だと正しく理解し、完璧に正しい対応をしたと思う。

愚著だとまでは言わないけれども、引用したりインタビューしたりする先が、『戦争の犬たち』のフレデリック・フォーサイスってどうなんだろう。もっと話を聞くべき相手には事欠かないと思うんだけど。フォーサイスが『失敗した国家』と表現するところは分かるけど、学者呼んだ方がいいだろう。

まあ一般のおじちゃんおばちゃんにはこれくらいでちょうどいいのかもしれないけれど、学士様が読む本でも感動すべき本でもない。そう思いたい。

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