『科学文明の曲りかど』 中岡哲郎

朝日新聞社 1979 精読 A4 ソフトカバー A- 780 自 忘れた

目次:・地球と人間 ・土とテクノロジー:第三世界の眼、土法とは何であったのか、日本の経験から学ぶ、落差を持った構造 ・労働の世界 ・現代技術と大学 ・鹿島の子どもたち ・「銀河」と「もぐら」 ・コンビナート災害

深夜の資源ゴミ置き場でたまたま拾った本。まさに掘り出し物。アマゾンにも売っていないようなので、冗長でも長めに、要約気味に書いておく。

「朝日っぽい」というと何かネガティブなイメージがぬぐえないが、この本はいい意味で朝日新聞社らしい。無論、朝日の新聞部と出版部はかなり違うことは分かっているが、良質の部類の朝日の知性や良心が見えるように思う。著者がマルキシストかどうかは不明だが、当時の共産中国に関心を寄せているところを見ると、そっち系の人かもしれない。だが、偏見は無用である。

「土とテクノロジー」で、日本と第三世界の知識人とのディスコミュニケーションがまず語られる。日本のパネリストは、産業化の代償として払った公害等の社会問題を視野に入れた上で経済成長を語ろうとするのだが、第三世界の人間にはその論がまるで通用しないという。「私たちは日本の国内で、自らの感じるがままに高度成長への疑問を語り、工業文明の欠陥を語り、それを克服する途について語ってきた。それらの議論は工業化のもたらした無数の歪みについての日本人の共通の経験に支えられてこそ、ある一定の説得力を持ってうけとめられ通用してきた。だが経験を共有しない人びと、とくに外側から、モデルとして、理想として日本を眺めている人びとに向かって、同じ調子でそれを語っても通用はしない」(58頁)ここから著者は、日本の工業化について考えていく。日本の工業化に奇跡などない。日本が開国して工業化のスタートラインに立った19世紀後半は、20世紀初頭の技術革新を控え、絶好のものだったという幸運。日本が常に西洋技術のそのままの移植をしたという誤解--前工業化時代の民衆の智恵が、日本の工業化にあたっても用いられた。西洋の設計そのままの炉を作っても、日本の石炭や鉄鉱石の質を無視したそれは、まるで機能せず、結局智恵と試行錯誤を繰り返して、日本は工業をものにしていく。「日本はどのようにしてかくも短期間のうちに奇跡的な工業化をなしとげることができたのか?という問いは、次のように逆転した方が、第三世界の人びとにとっては教訓的かもしれぬ。すなわち、これほどめぐまれた条件からスタートしながら、日本が二十世紀的な大工業生産の様式を完全にものにするのに百年もの長い期間を要したのはなぜだろうか?と。」(85頁)

日本の技術がヨーロッパの模倣だったという考えに、著者は警鐘を鳴らす。「日本は模倣技術でここまで成長したのだから、歪みの方は当分目をつむって日本の道を模倣してみようといった形の、日本の経験の学び方に反転してゆく」(95頁)ヨーロッパの模倣というよりは、「もう少し普遍的な大工業生産の型」の模倣と言えまいか、また、「模倣をするにも実力がいる」。著者はアメリカ型資本主義でも農業と中間技術の道でもない第三の道を示唆するが、それがなんなのかはわからない。

「コンビナート災害」では、「予想もしなかった災害」が起こる原因について考えられている。まず、システムが「ぎりぎり一杯」に作られていること。例えば新幹線の安全運行のために、毎夜レールの点検、保守に膨大な労働力が用いられていることが例としてあげられる。そうでもしなければ時速200キロ以上では走れないのだ。世界の新幹線を支える孫請けの末端労働者。「ぎりぎり一杯」の生み出してくる無理を、社会の底辺の、未組織の、中高年の、もっとも弱い立場の労働者の肩に転嫁し『差別』の中に溶解させてしまう構造」(213頁)そして、「予想もしなかった」の背後。専門領域の中で人びとが感じている「予想もつかない」ということが、えてして「そこまで考えていてはかなわない」であること。その基準には常に打算が働いている。企業の枠、専門の枠では切って捨てても安全な程度に確率の小さなものが、日本全体では無視できない出現度数をもつことになる。そして切り捨てたものの尻ぬぐいが、最期には社会に被さってくる構造。コンビナート火災で出動化学消防車は38台が消防署のもの、たった2台が会社のものだったという。つまり火災の危険のコストを社会に税金に払わせている。現代技術の安全思想は基本的に確率と期待値の考え方に根を下ろし、可能性の大きいものは二重三重に安全対策をするが、事故の起こる確率×被害の規模=被害の期待値が限度以下に下がったとき安全と考える。(223頁)しかし、「予想もしない事故」は、切り捨てられたところから起こってくる。

ここでも、著者は明確な答えを出さない。不満ではあるが、問題提起としてはもっともだ。

全般として、著者の引いてくる実例が的確で、しかも面白い。あと、この手の雑文集を編集するとき、なんで一番最初に一番読みにくく分かりにくいのを持ってくるのかね?この本だけでなく全般的な傾向としてそういう気がする。CDで、最初の曲といったらプロローグでない限りは一番いい曲、キャッチーな曲を持ってくるのが普通だろう。なんで本はそうならないかね。少しでも途中で挫折する人を少なくしてあげればいいのに。

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