「刑吏の社会史」『阿部謹也著作集2』所収 阿部謹也

筑摩書房 1999 通読 A5 ハードカバー A \? ****中央図書館 2003/11/16

今更私がこの著作に対し、褒めるだとかけなすだとかしてもしょうがない気がするので、内容を軽くまとめておくにとどめたいと思う。中世ヨーロッパという地域研究であるにもかかわらず、差別という行為の淵源を探るこの著作は一定の普遍性を持つと考えられる。

古代のゲルマン社会では、刑罰というものが存在しなかった。犯人個人は何ら問題ではなく、生じた結果だけが問題であり、処刑でさえも、部族共同体内の呪術として執り行われていた。そのなかで、処刑執行人に対する賤視はなかった。

都市の発展、キリスト教の普及に伴って、処刑が呪術から刑罰へと転換する。古代には何かの偶然か受刑者の力かによって死を免れたものは無罪放免となっていたが、呪術から刑罰へ変化した結果、こうした「偶然刑」は消滅していく。多くの場合刑吏は市民権を持っていなかった。

その一方で刑吏は医師としての役割も担っていた。昼は刑吏を避けていた人々が、夜にはこっそり刑吏の家を叩き薬などを求めたという。梅毒水銀療法を開発したパラケルススもまた、薬の多くを放浪者、刑吏、理髪師などから集めた。刑吏は皮剥の職を兼ねることも多かったが、その皮革製品を人々は身につけていた。刑吏に対する卑賤視、嫌悪感は主として処刑を行う職業活動と社交生活に向けられており、刑吏の触穢は不完全なものだった。

キリスト教の普及によって処刑供儀としての性格を否定されたが、人々の意識の中に神聖な行事としての処刑の記憶は残っており、畏怖が恐れに変わり、異教の神と死へのタブー意識が差別を作っていったと著者は言う。

近代に入って、刑吏への賤視は解体されていく。それを大きく助けたのが、近代常備軍編制のための国民皆兵政策だったことは印象深い。

阿部謹也著作集に索引はないのかな?別巻であるのかな?どっちにしろ巻ごとにつけて欲しいものである。

『阿部謹也著作集2』には、「中世賤民の宇宙」と題して、各種小論、講演の類を収録しているが、これも「刑吏の社会史」の理解を助ける。中世の人々は二つの宇宙で生きていたと著者は言う。身近の現実としての小宇宙と、そこでコントロールの聞かない大災害、病などをもたらす大宇宙だという。道路清掃人が被差別民にされた理由を阿部は大宇宙に対する恐れに求める。大宇宙=外の世界と行き来することが出来る者への恐れ。都市成立以前に分業は不完全で、差別は起こらなかった。

「ゴミや糞尿は汚いから差別された」という理解は説明になっていない。ヨーロッパで糞尿はそのまま道路にぶちまけており、それを豚が食べていた。その豚を人間が食べていた。ゴミや糞尿は汚いものだけれども中世には神秘性を帯びて理解されていた。

この話を読んで思い出したのは、天皇巡幸の時、下賜品として天皇の糞尿を求めた連中がいたという話だ。「御糞」というらしい。これも馬鹿げた天皇崇拝としてのみ理解するより、こうした中世的世界観の残存と考える方が理にかなうだろう。中世ヨーロッパと日本を一緒くたにするなと?阿部自身が同一視できる部分があると言っているのです。

ちっともまとまっていない。通読のみならず精読に値する本である。03/11/26

阿部謹也著作集 2
阿部 謹也著
筑摩書房 (1999.12)
通常2-3日以内に発送します。

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