『プロトコール入門 国際儀礼とマナー』 安倍 勲

学生社 2003 流し読み A5 ハードカバー C \2200+税 K西図書館 05/9/2

サブタイトルがなければ間違いなくコンピュータの棚に並べられる本。TCP/IPとかは全く関係ない。サブタイトルにあるように国際間の儀礼の話である。

このプロトコル、「すべての主権国家の平等、国家の尊厳、国家元首、国家の代表、外交使節その他に対する呼称・敬称の使用・・・」が必要だと著者はいう。また、「およそ有効維持に役立つすべての意思表示、行為、行動を行うこと」とする。そして、「国際儀礼は、法律でもなく、道徳でもない。したがって強制力も拘束力も持っていない・・・しかし、洗練された礼儀作法とお互いを尊敬しあう精神に貫かれた意思表示、行為、行動を相手方に示し、相手方からも友好的、好意的な反応、反響を期待する。このことは今日の国際社会では、大方の同感、同意が得られているようだ」という。

ここで愉快な例を著者は挙げている。モザンビークの大統領が「1988年、ソ連、米国、日本の三国を歴訪した。来日するや、わが国の政府首脳や経済界の有力幹部と精力的に歓談した。そしてさらに離日前に昭和天皇に公式謁見した。その後、チサノ大統領は次のような内話を洩らした。『最初の訪問国では、会談の相手の元首は自分をアフリカの別の国の大統領と呼び、彼の通訳が訂正してもまったくむしして、また違った国名を名指した。その態度は尊大ごうまんであった。次のもう一つの国の大統領は、きわめて多忙との理由でごく短時間で会談を終わり、モザンビークの大統領と呼ぶこともなく、はなはだ冷淡な接見であった。(中略)これに比べ日本の元首昭和天皇は、接見でもきわめて丁寧かつ誠実に応対された。彼が貧困に悩むモザンビーク国民に対して同情を表明したいといわれ、自分は感激した』」

外務省の著者がいっていることなので、まあ割り引く必要はあっても、天皇や国王がいるというのはこういう時に役に立つとわかる。権力政治にとらわれることなく、一視同仁に主権国家の平等を尊重できる人間は大統領や首相ではなく、前時代的なキングやエンペラーだったりするわけだ。なんとも愉快な話ではないか。いわばプロトコールのプロとして重宝する天皇という存在はなかなか有益で、太古の天皇の祭祀長としての役割をも何となく彷彿とさせる。アフリカ向け権力政治はムネオに、茫洋とした友好ムードは天皇に。高坂正堯も、天皇が訪問するとなんとなくなごむからいいとか何とか言っていたな。

で、この後敬称の使い方やら旗の並べ方やら、席次の取り方やら、延々続く。礼砲の由来について書いてある、「大砲に、放談を詰め替えるのに時間がかかった時代の名残。VIPの到着に際し、大砲をすべて発射し、要塞、砲台等が無防備であることを知らせる意味があった」そうです。

「日本の皇室においても、外国元首、皇族等との交際における用語は、戦前は、英国、米国、タイ国について英語が使用されている以外はすべてフランス語が用いられていた」というのも知らなかった。「また例外として、中国、ロシアなど自国語を用いてくる国については、我が国も日本語で対応している」というのも驚きではある。

まあ、何の役にも立たないが、こんな本もあるということで。思えばこういうプロトコルの最前線にいるのが外務大臣なわけで、田中外務大臣というのはその点でもどうだったのか非常に疑問に思う。

2005/9/4

 

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