『「人殺し」の心理学』 デーヴ・グロスマン 安原和見訳

原書房 1998(1995) 通読 A5 ハードカバー B+ 2200円 A図書館 2004/06/17

第二次大戦まで兵士達は人を殺すまいと積極的に発砲しなかったり的をわざと外したり、発砲以外の戦闘業務に進んで従事しようとしていた。自らの手で人を殺すことに強いためらいがあり、もし殺人に手を染めてしまうと心身を病んでしまうことも少なくなかった。だが朝鮮戦争、ベトナム戦争では、兵士の発砲率は上がった。それは訓練プログラムで人を人と思わないように殺せるようにすることが出来るようになったからだが、兵士の心身の疾患は必ず現れるものである・・・・といったところがあらすじとなる。

冒頭から中盤にかけてはとてもおもしろい。19世紀のマスケット銃の時代、あり得ないほどに殺傷率が低かったのは兵士がまじめに狙おうとしていなかった--つまり敵を殺そうとしていなかった--からだと著者は統計的数字と各種体験談を織り交ぜて解説し、説得力がある。そして第二次大戦においてさえ、ライフル兵の発砲率は15%〜20%だったという。つまり、残りの兵士はどこかでおびえていたり、発砲している者に弾を渡したり、負傷者を救護したりと、非殺傷業務に勤しんでいたというのである。この論は我々の「総力戦」「近代戦」の観念を大きく揺るがすものである。

そして著者は、やむを得ないと認められる場合であってさえ、兵士の心に残る悔恨や心的外傷について述べ、様々な兵士の動機付けを解説する。兵士に殺人を犯させる要因としては、権威への服従、仲間との連帯感などがある。そして重要なのは標的との物理的距離である見えない敵を撃つ砲兵や爆撃機乗員は、接近戦を戦う歩兵より精神的に楽な位置にあり、歩兵の間でも、中距離で打ち合っている時と相手の顔が分かる距離で明確にある個人を殺害する事との間には雲泥の差があるとする。

だが、全て読み終えた後、今ひとつ新しい考え方に触れていないことに気づかざるをえない。「殺人は人間にとって巨大なタブーであり、2%の『生まれながらの兵士』を除けば、戦場の殺人体験は人の心に大きな傷を残す。現代の兵士訓練プログラムは容易に殺人が行えるように、戦場における発砲率を高めるようになっているが、心のケアの問題は返って増した」 訓練プログラムの話は確かに耳新しいが、殺人がタブーだということ、兵士が心の傷を負うこと、を想像するのは簡単だ。それを述べるにはいささか紙幅を割きすぎの様な気がする。また、戦場における殺人の動機付けを著者は古典的条件付け(パブロフの犬)、オペラント条件付け、などを用いて説明していくが、心理学特有のあやふやさ--それって本当かよと突っ込みたくなるような--があるのでどうも今ひとつピンと来ない。最後にとってつけたようにアメリカにおける(平時の)殺人について述べられていて、メディアの影響を著者は重視しているようだが、いかにも大雑把で説得力がない。この章はいらなかったと思われる。

とまあいろいろ不満はあるのだが、様々な本や独自のインタビューによって、兵士達の言葉が引用されているのは読んでいて関心をひくし、第二次大戦までの兵士の発砲率の低さの指摘は、知っておかないと戦争を語るのに不都合でもある。章の始めには常に引用がなされ、章の内容を暗示するが、そのやり方は上手である。ただかっこつけの意味不明の引用をする輩も多いから、参考になる。指揮官の苦悩に関する話も感動を呼ぶ。将校と下士官、軍曹と兵卒の間には大きな社会的障壁が存在する。この障壁があるからこそ、上官は部下を死地に送り込め、部下の死に対する避けがたい罪悪感から身を守ることが出来る、と著者は言う(P134)。優れた指揮官はみな、もう少し違う戦法を取っていれば愛していた部下達を死なせずに済んだのではないかと考えるという(同頁)。だが、「指揮官にとってこんなふうに考えてゆくのは危険きわまる行為だ。指揮官と名のつく者には昔からふんだんに名誉や勲章が与えられてきたが、その後の年月における精神衛生上、これは決定的に重要なことだ。・・・様々な形での顕彰は、指揮官の属する社会からの強力な言明なのである--お前はよくやった、正しいことをした、任務だったのだから失われた人命のことでおまえを非難する者はいないのだ」(P135) うならされる一文である。指揮官の胸に輝く勲章は単なる権威主義の表れではなかった。自衛隊は在職中に叙勲されることはないそうだが、正しいことなのだろうか。

「カフカスの山岳民のことばを借りれば、英雄的行為とはあともう一瞬の忍耐のことである」
「勇気とは消費可能な意志力である」
著者はいろんな文献や言葉を引用するが、アフォリズムとして重みを持つ言葉が多い。

くどいくらいの同じ話の繰り返しがあるので、それを整理してもう少し圧縮してくれたらねえ。いかんいかん、また文句を言っている。一言でこの本を表すなら、総論反対、各論賛成である。各所各所でそれなりにいいことを言っているのだが、全体としてのまとまりに欠ける。

余談ながら著者の引きつった笑いの顔写真はどうかと思う。まじめな顔した写真載せた方がよかったと思うぞ。なんたって、殺人についての著書なんだから。表紙を見て、あるいは内容を読んで、この顔写真を見ると、著者がどうしても快楽殺人者に見えてくる。

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