『売春の社会史 古代オリエントから現代まで』 バーン&ボニー・ブーロー 香川壇ほか訳

筑摩書房 1991(1978) 流し読み・部分読み A5 ハードカバー B 3910円 *****図書館 03/07/18-20

1.売春の期限 2.古代オリエント--聖と俗 3.ギリシア人--ポルノグラフィーと性への怖れ 4.ローマ人--アンビヴァレントな感情 5.キリスト教、イスラム教と性道徳 6.インド、中国--もうひとつの見方 7.中世ヨーロッパ 8. 宗教改革と梅毒 9.王侯と平民 10.統制と現状維持 11.アメリカでは 12.医学とセックスと女性 13.廃娼運動と法律 14.変わりゆく二重規範 参考文献・事項・人名索引

やっぱり、というところか。世のあまたの書籍と同じく、この本も男女問題のハードルを越えられていない。何故男女を語ることが難しいか。それは多分、この問いがたやすく文明論にまで到達するからに違いない。女性は虐げられてきた。ではなぜ虐げられてきたのか?それは女権確立以前の男性達が主張してきたように、「女性は弱いもの」だったからなのだろうか?もっともこれでは帰納法的に過ぎる。昨日まで女性は弱かった、だから明日も弱いに違いない、というのだから。でも、それに変わる女性の歴史観というものがない。だから議論は社会論やら道徳やら封建主義やら、あらぬ方向にそれていき、議論が終わった頃には何を話していたのかも分からなくなっている、というのが現状ではなかろうか。

オリエント、ギリシア、ローマと色々な地方の売春事情を膨大な資料から調査した労力は認めるにやぶさかではないし、でてきた事実も面白いものがある。「聖書の専門家達によれば、イエス自信は少なくとも現在まで伝えられる彼の教えが示す限りでは、とくに新しい性関係のおきてを布告したわけではなく、むしろその時代の考え方にたっていたとするのが一般的な見方である。」しかしその後、教義を固めていく中でいくらかいびつな性の教義が生まれていったとするあたりはなるほどと思わせる。だが、それが結局、「女が男に虐げられていた」のであって、「男(社会)の二重規範が問題」という話に収斂していくのがどうも納得いかない。文明と時代とで差異が現れるのはディティールだけで、根本は変わらない、とするならこれほど楽な議論はない。というか、そうなのだとしたらオリエントとギリシアとローマを別項で述べる必要もないのではないか。私はこうした事象の原因の説明に不満を感じる。もっと別の視点があって、そこから見るともっと鮮やかに地域差や時代差が出てくるのではないか、と思ってしまう。

結論も、あれはダメ、これもダメ、地道にやって性の二重規範を取り除く事が望まれる、ということで非常に軟弱。多分無理だと思うぞぉー。あと不満点としては、せっかく現代まで射程に捉えているのに、マスターベーションの問題が19世紀の医学的な問題としてしか出てこないこと。どう考えても影響がないとは思えない。写真発明以降、さらにはビデオテープの普及、そしてインターネット、非売春性的コンテンツの氾濫はとどまるところを知らない。これは売春をなくすことに貢献するか否か。「売春は定義次第」と述べる著者は、ポルノ女優やヌードモデルをどう定義するのか。またされるべきなのか。これも売春なのか。それが知りたい。まあ1978年という時代の限界もあるが、映画もあり写真誌もあったわけで、これに触れないのはちと問題かな。でもそうすると射程が無限大になってしまうかも。

ありがちな「男が悪いのよ、キーッ!」という頭の悪い雰囲気はなく、すんなり読める。訳も平易で大変よい。個々の事例は「へぇ」と思いながら読める。500ページもある研究ノートと思って読めば、後悔しない。売春を語るならこれくらい読んでおけ、といいたいところだが、読んだところで新しい地平に到達できるのか?男女の問題ってそれぞれ皆男であり女であるというだけで語れるからねぇ。ってか語っている連中はほとんどそれだけだよね、勉強してないよね、多分。

戻る ジャンル別分類へ戻る
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送