『新しい科学論』 村上陽一郎

講談社ブルーバックス 1979 通読 新書 新書 A+ \440 **区中央図書館 03/11/10

久しぶりに感動を味わった素晴らしい本。単なる専門知の披露ではなく、かといって「やさしい**学」のような学問の水割りでもなく、簡潔に学問のあり方を説く本。科学論となっているが、内容は科学の話にとどまらず、あらゆる学問に通じる。

まず冒頭、太平洋戦争が科学戦の敗北だったという俗信が軽くいなされている。曰く、戦争中は科学振興が盛んに行われた。理工系学生は徴用も後回し、子供向け科学雑誌が盛況した、政府は何も竹槍で戦おうとしていたのではないのだ、と。今までのイメージを打ち壊す本書の気概が伝わってくる小エピソードである。

第一章は論理学の話である。演繹と帰納について、私はわかっている気がしていたのだが、辞書に書いてある意味以上の演繹と帰納の意味がここで明らかにされる。曰く、データを集めてそこから一つの仮設が打ち立てられる。これが帰納。そしてその仮設から、「次なるXも**である」と推論することが演繹。仮設に反証が加えられると、仮設は全面的にか一部か書き換えられ、また新たな帰納と演繹のプロセスの繰り返しとなる。今までの自然科学の方法論は、中立なデータという信仰をもとに、厳密にこのプロセスを繰り返していたのだという。

第二章でその今までの自然科学方法論に疑問が投げかけられる。果たして「中立なデータ」などというものがあるのかどうか。思い切り単純化していえば、人によって時代によって見えるものは全く異なってくるので、中立なデータなどというものはないのだ、ということだ。そのことが丁寧に説かれている。

中世暗黒史観は百科全書派の誤解かあるいは陰謀である。ヨーロッパで自然科学が勃興し産業革命に結びついたのは、キリスト教の桎梏から解き放たれたためではなく、キリスト教あってのことである。ガリレオもニュートンもコペルニクスもキリスト教の枠内で思考し、その説もキリスト教にのっとったものとして発表された。弾圧されたというのも怪しい話だそうだ。キリスト教的世界観があったからこそ、自然科学の勃興があった。百科全書派の中世暗黒史観は間違っている。だが、その百科全書派はその間違った説によって科学と信仰を切り離すという重要な役割を果たし、今日の自然科学がある。

とこのように、様々な知識(ギリシア哲学からアインシュタインまで)を動員して一つの結論に導く様は、芸術と言ってもいい。何かと評判の悪い大学の一般教養科目であるが、一般教養とやらの目指すところはここにあるのだな、と感じさせる。

著者は、中学生にも読めるような書き方を心がけたという。大学生が読まずしてなんとするか。そしてこれすら理解できないであろう大学生の多かろう事にぞっとする。「知の技法」より遙かに簡潔、凝縮度は非常に高い。こういう事を分からぬまま卒業論文という怪しげな作業に入る大学生。偏差値低下以上の問題が、理系文系問わず、今の大学にはある。

呉智英『読書家の新技術』で推薦された本だ。やはり、これはと思う著者の推薦書は読んでおくべきである。

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