『映画は語る』 淀川長治 山田宏一

中央公論新社 1999 通読 A5 ソフトカバー A \2300 K図書館 04/7/1

山田宏一聞き手、淀川長治語り手の映画論。話題に上る映画はサイレントからトーキーまで100じゃ収まらないだろう数。

私は特別映画好きというわけでもないので、ここで語られる殆どの映画・俳優を見たことがない。それどころか、知りさえしないものが大多数。唯一見ているのは北野武の「HANABI」だった。淀川長治が、今(1999)の日本映画で殆ど唯一高い評価を与えているのが北野武だと知って、激しく同意し、喜ばしく思う。

映画のことなんか何も知らないのに、こんな本を通読できたというのは当然淀川長治の才能による。なんだろうな、この人。オタクでもなく、評論家でもなく、ただただ映画が好きなんだな。たまにハリウッドに行っては、いろんな監督や俳優に会って、時々厚遇を得てくるのだものな。

危機感を覚えたのが、今や公には淀川長治の記憶の中にしか存在しない映画--特に邦画--が少なからずあるということだ。日本映画を語る回では、あれはもうプリントが残っていない、これももう見られない、そんなのばかり。いくらなんでもひどい話だ。今これだけたくさんの映画が作られてはいるものの、興行的に成功したもの以外の作品が果たして数十年後、残っているのだろうか?著作権でガチガチに固めた挙げ句に滅んでいく映画は確かに現れてくるだろう。

こんなこと、あったよ。ぼく勲章もらったとき、前の天皇陛下、昭和天皇が「淀川さんは映画解説で日本映画をおっしゃいませんね」と言ったから、「なに言ってんの、洋画劇場ですよ」とぼく、言った。そしたら、「あっ、そう」って(笑)。天皇陛下、いつも見とったらしいね、テレビの「洋画劇場」

面白いねえ。淀川長治のしゃべりも面白いが、天皇陛下となるとやはり、「日本」ということを常々気にしているんだな、と思わせることが。

やっぱり、いまの最高はたけしさんだね。たけしの存在が飛び抜けていてね。ほかの監督のはがっかりしてね。よくこんな下手な撮り方したなと(笑)。いろいろ見たけど、みんなつまらないのね。映画が大人じゃなかったり、うまいけど商売人の映画だったり、アイデアだけに酔ってひとりよがりだったり、器用すぎたり、はったりだけの映画だったり、日本映画こんなに落ちたかと思ったの。キャメラがきれいだったら、まだましだったというのもあったけど。
ひょっとしてこれはピーター・グリーナウェイみたくおもしろくなってるかと非常に期待して見に行くと、監督の自分だけが出すぎていてね。画面のなかに。つまり客はどうでもいい、これがおれなんだというところばっかりだったりしてね。映画ってそうじゃないのよね。ピーター・グリーナウェイは変なことをやるようだけれども、好きで好きで好きでやって、あなたも好きになってくださいねという愛情があるの。でも日本映画には自分だけがわかったらいい、そういうところがあるのが多い。(以下略)

ああ全くその通りだねえ。

豊富な写真図版が、どれも美しい。映画は写真なのだな、とよくわかるくらい、写真としても完成されたものばかり。全然知らなかったけれど、戦前のハリウッド日本人俳優早川雪洲の写真なんかこれぞ映画スター、これぞ男前、という感じだね。これを見ると、SMAPが映画に出てもなにか違う、というのがわかるような気がする。大衆にこびるような面持ちじゃないような。もちろん大衆に支持されてこそスターなわけだが、別格というような空気がある。SMAPには良くも悪くも、ない。

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