『「原発」を誘致しよう!--優れた電源、地域振興で大きな成果--』 渡部行

日本工業新聞社 1999/3/27 部分読み A4 ハードカバー E(奇書・怪著) \1714 *****図書館 2003/7/8

キワモノめいた本に手を出してみた。一部の人達にとって、原発はファシズムと並んで悪の象徴であり、大半の原発書籍が「原発反対」の立場を取る中、こうした言説はなかなか聞く機会がない。タイトルから見てどうも、政治的バイアスを強力に感じる。なんというか、もうちょっとソフトな「両論併記の上やっぱり原発あったほうがいいよね」的方向性を目指した方が、たとえそれが偽りであれ、説得力は増すように思うのだが。

タイトルを見て分かるとおり、原発を誘致すれば税収が潤って地方が活性化する、というのがメインテーマ。「安全性は至上命令」ということであまり触れられていない。あくまでカネがテーマである。目の付け所はありきたりではあるが、悪いものではない。数十年後に起こる(かもしれない)カタストロフィより、目の前のカネ、ということはあり得べき話だからだ。そして、原発のカネがなければ、その町村は滅び、生まれてこない人だっていたかもしれないのだ。仮に数十年後、原発で潤った村で事故が起こり、多数の犠牲者が出たとして、その犠牲者たちは、原発を恨むだろうか。原発がなければ生まれなかったろうに。

具体的な内容に入る。様々な原発関連施設のルポルタージュというかたちを取っている。原発の効率性と固定資産税等による地域活性化が語られる。原発を持ち上げるだけの駄本ではないが、論理構造はどのルポも似通っている。つまり、原発による地域活性化→しかしハコモノ建設はいずれメンテ、人件費で重荷になる。設備の更新がないと固定資産税も将来落ち込む。地方交付税不交付により原発誘致自治体とその他の自治体との差が出ない→国に責任 といった構造だ。微妙に論点を逸らしているような気がする。原発は本当はよいものである、でも良いもののように思えないのは、国の責任である、と。どうも種も仕掛けも丸見えの手品を見ているような論理である。あと、誘致に際して、「一部には住民投票との声もあったが、議会制民主主義を尊重した」というのはちょっと感心できないレトリックである。議会制民主主義と直接民主主義の優劣をそういうレトリックで誤魔化しちゃいけない。

繰り返すが目をつけるところは間違っていない。「バケツでウラン」のJCO東海事業所も取り上げられている。勿論、事故前の話だ。本書発行の年に臨界事故が発生したのは皮肉だ。JCOに関しては、「電力業界から原子燃料の値下げを迫られ、この対応のためコストダウンに懸命に努力している。さらに茨城県が平成11年度から実施を計画中の『放射性廃棄物に』への新課税が大きな問題で、経営の死活に直結すると強く反対している」との記述が見られる。理不尽な課税には著者も強く反対している。そして経営効率化、業務改善の行き着く先が、「バケツでウラン」だったと考えると、決してこの問題は安全管理の杜撰さ、違法マニュアルの問題、だけで語られるべきではないとわかる。最先端で立派であるが非効率な装置よりも、効率的なバケツを選んだのは、ちゃんとカネの問題も絡んでいることがわかる。もし、最先端技術を使っても十分な利益を得られるのであれば、「バケツでウラン」をやる必要はなかったのではないか?富の配分を間違えた結果だったのではないか?事故以来、JCOに関してはあらゆる報道にバイアスがかかってしまったのはある程度やむを得ないが、記事のニュートラルを保証するものとして、本書の存在はある意味貴重かもしれない。当たり前だが、取材当時行われていたはずの「バケツでウラン」のことは書かれていないが。

原発推進を主張する著者の一貫した立場は、地方交付金等で原発のある町村が、その他の町村に比べて豊かさを実感できないのは理不尽だから是正せよ、ということである。著者の言いたいことはあくまでカネの問題、富の配分の問題なのである。だがしかし、原発設置町村がその他町村より豊かであるべき、ということはつまり、原発事故へのリスクを想定した話ではないのか?原発というリスクを背負っている町村に対しては特別の恩恵があるべき、という発想は裏返せば、原発反対派の主張する「原発は危険」という論を裏書きするものではないのか?ならば本書で無視されているに等しい「安全リスク」の問題を突き詰めていく必要があろう。原発をカネの視点で見るのは正しい。だが思想レベルで反原発反対派では所詮ただの反対派と同じ穴のムジナである。カネの問題で原発を語ろうとしても、結局安全の問題へと帰結していく、これが原発を語る難しさではある。(2003/07/08)

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